嶋田 洋平
2015年03月02日作成年月日 |
執筆者名 |
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2015年03月02日 |
嶋田 洋平 |
住まい・生活 |
住生活 |
情報誌CEL (Vol.109) |
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〜新たな都市生活者層の出現〜
東京都心に住む
僕は、2007年の9月から、東京都豊島区の雑司が谷に住んでいる。雑司が谷は、副都心の池袋まで歩いて10分ほどという近さにありながら、都電が通り、古い寺や墓地が落ち着いた佇まいをみせる住宅地だ。
地下鉄の雑司が谷駅から徒歩3分のマンションを選んだのは、横浜市の中心街まで電車通勤の僕と、埼玉県和光市の職場まで自動車通勤の妻という夫婦の交通の便を考慮したからだ。当時、妻は第一子の出産を控えていたが、妊娠中は車の運転をしないようにという医者の指示に従い、電車通勤に切り替えることにした。僕自身は満員の通勤電車に妻を乗せたいと思えず、都心から郊外への逆通勤にすることで朝夕のラッシュを回避し楽に通勤できるのではないかと考えた。事実、産休前と育児休暇後、妻は殺人的な混雑の満員電車の絶望感を味わうことなく電車通勤を楽しんだようだ。
木造賃貸アパートで起業
2010年に9年間勤めた建築事務所の「みかんぐみ」をやめ、「らいおん建築事務所」を設立し独立起業した。通勤がなくなり自宅から徒歩圏に事務所を構えたいと考えた。条件は家賃3万円以内で自宅から徒歩圏内でデスクふたつと本棚が置ける広さ。当然このような事務所用賃貸物件はこのエリアには存在しない。探し方を変えてみた。大手賃貸ポータルサイトで住居を検索すると、家賃2万1000円から大量の物件が出てきた。雑司が谷は多数の大学や文教施設が集まり、かつては学生の住む町だったためワンルームアパートが多く、いわゆる風呂無しトイレ共同の木造賃貸(木賃:もくちん)アパートに膨大な数の空き家を抱えていた。選びたい放題の物件数の中から自宅にほど近く、小さな路地に面する木賃アパートの一室を借り、大家さんの許可を得て作業室として事務所を開設した。2010年5月のことである。2カ月後、エアコンの無い4畳半の部屋の暑さに耐えきれなくなったのと、仕事が増えスペースが手狭になったため引っ越すことにした。狙ったのは自宅マンションから徒歩10秒の3階建ての建物で、1階が賃貸の住宅とガレージ風のテナント区画、2階にオーナー住居、3階が賃貸住宅という物件だった。当時ガレージの一部は3階の住人の倉庫として使われていた。そこで大家さんに「事務所と倉庫のシェア」を提案し、区画の壁をつくることをお願いし、それ以外の内装工事はDIYで行った。