木全 吉彦
作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
2015年03月02日 |
木全 吉彦
|
住まい・生活 |
住生活 |
情報誌CEL (Vol.109) |
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
「衣食足りて礼節を知る」は、中国の法家・管仲(かんちゆう)が著した『管子』の一節、「倉廩實則知禮節、衣食足則知榮辱(そうりんみちてすなわちれいせつをしる いしよくたりてすなわちえいじよくをしる)」に由来します。蔵に米が満ちて初めて人々の行いが正しくなり、衣・食に不自由しなくなれば名誉を重んじ、恥を知るようになる。すなわち経済的基盤が整って初めて人心が治まるというメッセージです。
日本発のKAWAII、KIREI、WASHOKUが世界を席巻しつつあるように衣・食が足りた今、礼節ではなく、量的には充足しながら質的充足にはまだまだ課題が多いのがわが国における「住」です。室内の装飾・演出を表す「設え(しつらえ)」は平安時代、邸宅での宴や儀礼の折に調度品などで部屋を飾った「室礼(しつらい)」からきているとのこと。特集では、礼節とも無関係ではないかもしれない、衣食足りたあとの重要課題である「住」について、住まい手にとって居ごこちのよい ─ cozyな ─ 暮らし方という観点から考えてみました。
2年前、CEL103号の「CELからのメッセージ」で、ランニングを例に「自身の身体との対話」により「自分が自分の身体をマネジメントできる事」がスポーツの醍醐味ではないかと述べました。衣・食ではすでに相当高いレベルでこれが実現していると言えそうです。「住」も同様に、器としての住宅から「住サービス」を受けるのでなく、住み手が住まいに働きかけ、対話し、継続的でインタラクティブな関係をつくって住まいをマネジメントできれば、単なるHOUSEでないSWEETHOMEとしての「住まい」が実現できるはず。
ところが、衣・食・働・遊にかける時間・お金・情熱に比べ、「住」=「家での暮らし」にかけるそれは格段に少ないのではないでしょうか。広いとは言えない住宅空間をモノで埋め尽くし、人が肩身の狭い思いをしている日本の住まい。漢字の「住」は「人が主」と書きます。省エネ、スマート化、省力化の流れが「省人化」となることのないよう、住まいにおける人=住まい手の主権回復をはかり、人と人、人とモノが交流する丁寧な暮らしをすることが、少子高齢社会におけるQOL向上の鍵となるような気がします。