情報誌CEL
ラフカディオ・ハーンが見た寺と神社の風景
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2016年11月01日
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牧野 陽子 |
住まい・生活
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ライフスタイル
その他
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情報誌CEL
(Vol.114) |
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日本人の宗教的な感性
「怪談」の作者として知られる小泉八雲ことラフカディオ・ハーン。風物、文化、民俗、宗教を織り込んだその作品群は日本という異文化への深い共感から生み出され、現代にも通じる視点を内包している。ハーンが見た日本人の信仰のありようを、ハーン作品と他の訪日外国人の記述の比較から描き出す。
はじめに
明治以降、来日外国人が書き残した日本論や日本滞在記の類は種々多々ある。その中で、今なお読み応えがあるものといえば、やはり、まずはラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn, 1850 -1904)の作品をあげなくてはならないだろう。
ハーンというより、帰化名の「小泉八雲」の方が親しまれているかもしれない。「雪女」や「耳なし芳一」、「むじな(のっぺらぼう)」などの作者としても知られていよう。これらの物語は日本の怪談として定着しているが、実は百年ほど前にハーンが日本の古い伝承や民話を掘り起して、再話した作品だった。
ハーンは、19世紀後半の人としては珍しく、西洋優越主義的な偏見にとらわれずに、優れた観察力と深い共感のまなざしで、日本の風物や文化、民俗、宗教について記し、明治期の庶民の生活と心情を描いた。土地の伝説や民間信仰、風習などを巧みに作品のなかに織り込んでは、日本の文化の魅力を描こうとしたのである。
ハーンはアイルランド系英国人の軍医を父に、英国軍が駐屯していたギリシャの島の娘を母に、ギリシャのレフカダ島で生まれた。だが、幼くして両親と別れ、アイルランドの親戚のもとで子供時代を過ごしている。その後、一人アメリカに渡って、シンシナーティやニューオーリーンズで新聞記者として活躍する。西インド諸島にも滞在して紀行文も刊行した。そして『古事記』の英訳を読んで日本に関心をもち、来日したのが39歳の時だった。まもなく英語教師の職を得て、松江の島根県尋常中学校に赴任し、ついで熊本の第五高等中学校、さらには東京帝国大学、早稲田大学で教えながら、『知られぬ日本の面影』、『東の国から』、『心』、『霊の日本』、『怪談』、『日本 ― 一つの試論』など、十数冊に及ぶ日本関連の著書を次々と発表している。松江で小泉セツと結婚、のち帰化して、1904年、東京の西大久保の家で没した。