情報誌CEL
ものの愛らしさを「民藝」に見る
作成年月日 |
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備考 |
2016年11月01日
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深澤 直人 |
住まい・生活
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ライフスタイル
その他
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情報誌CEL
(Vol.114) |
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深澤直人氏に聞く
民藝運動の精神は、現代の生活のなかのデザインに、どのように受け継がれているのだろうか。世界的に活躍するプロダクトデザイナーであり、日本民藝館館長でもある深澤直人氏に、民藝の魅力と自身のデザイン哲学について語っていただいた。
生活のなかのデザインで大切なこと
世の中にデザインされていないものはひとつもありません。見栄えのするものがデザインされたもの、と解釈する向きもありますが、どんなものも必ず、誰かがデザインしています。ただし、これはデザインされている、と多くの人が認めるものは、それなりの努力が見てとれる。生活に関わるあらゆるもののデザインに同等の努力が注ぎ込まれれば、粗悪品が淘汰され、その結果、私たちの生活全体の水準が向上するでしょう。
ものの使い勝手を良くすることもデザインの大切な使命です。パソコンやスマートフォンなどがアップグレードを繰り返すように、家具や生活用品も少しずつ改良を重ねていく。新しいものを生み出そうとすることばかりがデザインではなく、こうした側面の方が昨今はより求められているように感じます。
私がデザインを学んだ1970年代後半はまだデザインが自己表現の一種、アートの延長のように捉えられていました。しかし、社会に出てからは、いや、そうではないだろう、と反発する気持ちが膨らむ一方でした。そんなときに「民藝」の思想と出会ったのです。作者の意図を前面に打ち出すのではなく、人々の生活に有用なものをつくるというスタンスでデザインに向き合いたいと考えていたところだったので、出会った瞬間にぴったり符合するものを感じ、鮮烈な印象を受けました。淡々とつくられるものの中から生まれる謙虚な美。デザインが目指すべき方向はこれだと開眼しました。アメリカに渡る前、30歳を過ぎた頃のことです。
時代とともにデザインの意味合いも変わってきました。今求められているのは個々のものの確立というより、総合的な生活の雰囲気だと思います。椅子や食器といったものはあくまで生活の雰囲気をなしている分子に過ぎず、それらが渾然一体となったときに、なんかいいね、と感じる雰囲気が求められている。だからデザインに従事する我々は俯瞰した目をもち、全体を統合することをイメージしながら分子をつくらなければなりません。すべての分子はつながっているという考え方で、現代においてはそこにデザインの極みがあると言えます。