情報誌CEL
日本の自画像の系譜 欧米的個人主義 vs 日本的集団主義
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2016年11月01日
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桑山 敬己 |
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情報誌CEL
(Vol.114) |
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ルース・ベネディクトの『菊と刀』をはじめ、日本論にはさまざまなものがあるが、それら国内外の交錯する眼差しから確立された日本の「自画像」とはいかなるものか。「欧米的個人主義 vs 日本的集団主義」という観点を軸に、日本の在り方を規定してきた知られざる語りの系譜を辿り直すことで、自文化の前提を問い直し、新たな自己発見の可能性を探る。
戦後日本の復興と日本的集団主義
バブル崩壊後、景気低迷が長期化している今日では夢物語のようだが、戦後の廃墟から1950年代の高度経済成長を経て、1970年代には「20世紀の経済的奇跡」とまで言われた復興を日本が成し遂げると、世界の人々は拍手喝采した。そして、多くの海外の学者が日本の成功の秘訣を探ろうとした。そうした時代に強調されたのが、終身雇用・年功序列・企業組合を3本柱とする「日本的経営」であった。同時に、日本の会社は単なる利益追求を目指す個人の集合ではなく、労資が一体化した家族のような存在だという「経営家族主義」論も盛んに唱えられた。会社を家族になぞらえる経営家族主義には、全体のための自己犠牲を厭わない日本人的性格も含意されていて、それこそが欧米の個人主義に対する日本的集団主義の極みとして理解されたのである。
海外の代表的「経営家族主義」論
こうした議論に先鞭をつけたのが、ジェイムズ・アベグレンの『日本の経営』(原著1958年)である。原副題「その社会組織の分析」から明らかなように、彼の力点は経営の社会的側面にあった。アベグレンによれば、使い捨てのアメリカの労働者とは対照的に、日本では大企業の社員もまるで家族の一員のように扱われていて、退職まで仕事は保障されている。また、給与体系は生産性と直接関係ない社員の年齢や家族構成といった社会的考慮に基づいているうえに、福利厚生策も充実しているので、会社への忠誠心や一体感が自然と養われる。それゆえ、日本の会社は「価値、先祖、信仰を共有する拡大家族」なのだ、とアベグレンは論じた。彼は無条件に日本を賞賛したわけではないが、戦勝国アメリカの学者が日本の企業文化を認めたことに、多くの日本人は自負心をくすぐられた。
この手の議論には、明治以降の度重なる労働争議や労使の対立を看過しているという批判があるが、少なくとも英語圏では大きな影響力をもった。たとえば、イギリスのロナルド・ドーアは、『イギリスの工場・日本の工場』(原著1973年)の中で、両者の根本的相違はイギリス的個人主義と日本的集団主義にあると説いた。