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情報誌CEL

平川 祐弘

2017年03月01日

「外」との実りある対話を行うために

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2017年03月01日

平川 祐弘

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情報誌CEL (Vol.115)

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外来文明の強烈な影響下に発展してきた日本は、文明の出会いと衝突、融合と創造を繰り返してきた。グローバル化が進む今、我々はどのように「外」との実りある対話を行えばよいだろうか。古今東西の文化に通じ、日本と「外」の関わりを多元的に研究してきた比較文化史の泰斗・平川祐弘氏に、ご自身の異文化体験を交え、お話しいただいた。

戦時下の英語体験から戦後のヨーロッパ留学まで

日本という国は、昔から波はあるが「外」からのものを取り入れてやってきました。
私は、比較文化史の研究を通しそのことを論じてきました。そこに至る経緯を改めて考えてみますと、自身の幼い頃からの勉学や経験から、その伏線はしかれていたように思います。
昭和6(1931)年、ちょうど満州事変が勃発した年に生まれた私の、最初の英語との関わりは、小学3年生のときにアメリカ人女性から直接英語を習うことから始まりました。私の父は化学の技術重役で、昭和14(1939)年には仕事のためにドイツに滞在していましたが、第二次世界大戦のあおりを受けてアメリカへ渡った後、日本へ帰国しました。滞在は約1年間でしたが、そもそも化学の技師は、技術力の高いドイツ人と直接やりとりしないと仕事になりませんでしたから、日本にいたころから外国人技術者とつきあいがあってドイツ語も英語も割と流暢に話すことができたのです。ドイツに入ってすぐ電話をかけたので、同行の日本人がびっくりした。それで息子にも早いうちから習わせようと思ったのでしょう。ですが、当時の日本は反西洋を煽るアジア主義の主張が強く、英語を習うなど、私は何か悪いことをしているような気がして、小学校のクラスメートにも誰にもそのことは言えませんでした。その一方で英語は大事だということは強く感じていました。
昭和15(1940)年の夏、房総半島に避暑に出かけたときのことですが、その汽車の中で父と私が英語を話してしまい、向かいの人から「どこの中学ですか」と話しかけられました。当時小学3年生が英語など習うはずもないので中学生と思い込んで聞かれたのだと思いますが、父は、本当のことがばれたら大変だと思い、とっさに「滝野川中学です」とありもしない中学の名を言って誤魔化していました。世の中はそういう時代でした。
その後、私は中学で英才教育特別科学組という特別クラスに選ばれました。これがよかった。
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