情報誌CEL
【対談】交流(つながり)を問い直す
作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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媒体(Vol.) |
備考 |
2017年10月31日
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松岡 正剛 池永 寛明 |
都市・コミュニティ
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コミュニティ・デザイン
地域活性化
まちづくり
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情報誌CEL
(Vol.117) |
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生活文化の基盤であった都市に埋め込まれた価値を取り戻し、再起動へつなげる連続特集企画「ルネッセ(Renesse)」。
第2弾では、前号に引き続きスーパー・アドバイザーの松岡正剛氏とともに、都市における交流のあり方をテーマに語り合う。
日本文化にあるインタークロス性
池永:前号から取り組んでいる「ルネッセ」(再起動「Renesse」)ですが、前号の「場」に続き今号では「交」、交流(つながり)を問い直していきたいと思います。
どうも「大阪人」というと、あるイメージを抱かれて、個人という主体が見えづらく、交流する主体や対象が何であるのかが見えなくなっているように感じています。しかしこの主体や対象が見えないという問題は、大阪に限らず、近畿圏、日本が抱えているように思います。そこでまず、交わる主体と対象の個性、オリジナリティが何であるかを明らかにすべきではないか。さらに、「交」を考えるには、外からの活力が集まって交わることができる、環境や風土についての考察も欠かせないのではないか。この視点の重要性は、インバウンドの文脈で語られることはありますが、海外の人を対象とするのみならず国内の人々に対してもなければならない。松岡先生には、多様な意味を持つ「交わり」という文字の読み解きなども含めてお話をいただければと思っています。
松岡:日本における「交」は、たとえば蝦夷、陸奥、大和、博多といったように地域によって「交」の視点がズレることもありますし、歴史的なことでいえば、仏教や儒教のように外からやってきた文物が交わるということがありました。
ですが、今一番考えるべき「交」は、交際、交易、交流、交通、それから交換です。要するに「インタークロス」です。英語には、トランスクロスやトランスミッション、トランスファーというように、境界を越えるという意味の「トランス」という語がありますが、日本は万葉の頃からインタークロッシング型に文化や言語、モノを交えるということが多かった。それが「交わり」ということです。これをどう捉えるべきかが、いまだ議論されていません。インターとトランスの違いを考えたほうがいいと思います。
なぜインタークロスが重要になったかというと、内と外の間、私は「リミナル」と呼んでいますが、内と外の間にもうひとつあったのです。中国のように家の四囲を囲んでしまう文化ではなく、開け放しでありながら内と外の間に軒や庇、縁側、生垣などをつくるということですね。