情報誌CEL
『浪花百景』−まずはヴィジュアルの迷路に踏み込んでみる
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2018年03月01日
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橋爪 節也 |
都市・コミュニティ
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まちづくり
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情報誌CEL
(Vol.118) |
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江戸期の大坂の風景を描いた『浪花百景』。
当時の風物を語る定番の資料だが、我々が十分に活かしているとは言い難い。
浮世絵技法を駆使し、商都浪花の賑わいとそこで暮らす市し井せいの人々の営みを一瞬の「景」でとらえた『浪花百景』の世界を読みとき、今のまちに求められる視点を検証する。
はじめに──この揃い物があった
平野町通淀屋橋(現・大阪市中央区平野町)の板元「石和」こと、石川屋和助から刊行された『浪花百景』は、3人の歌川派絵師合作になる中判組み物で、現代でも江戸時代の大坂を語る際や、博物館での展覧会、歴史書やガイドブック編集などで重宝されている。
しかし、全百枚あるこの作品を、今の景観と比較するだけに用いるのはもったいない。今回、『CEL』が提起する「ルネッセ」の理念を展開し、「文化をどのようにcultivateしていけばよいか」のテーマで見直すならば、『浪花百景』に漂う時代の空気、人々の生活、画家が仕込んだ物語の読みとき方を再検証し、どのように活用できるか探ることが大切だろう。
『浪花百景』に関する刊行物では、1976年に立風書房の複製版があるほか、大阪府立中之島図書館のホームページ「錦絵にみる大阪の風景」で、すべての作品を画像検索できる。展覧会や研究では、1995年「浪花百景――いま・むかし」(大阪城天守閣)、2010年「浪花百景――大坂名所案内」(関西学院大学博物館開設準備室、穎川美術館)が開催され、後者の図録で『浪花百景』は安政(1854〜60年)期頃に企画され、文久から慶応年間(1861〜68年)に成立したことと、幕末の「巡礼」「太閤秀吉ブーム」を反映することが指摘されている。筆者も『大阪人』の特集「行こう大阪の名所いま・むかし」(2012年5月号)で『浪花百景』に触れた。現代に活かすために、まず『浪花百景』をどう読みとくかの私論を述べよう。
百景と名所図会は違う
最初に「百景」と「名所図会」の違いを巡って、『摂津名所図会』と比較したい。
18世紀後半、『都名所図会』を先蹤に各地の名所図会が刊行された。大坂が登場する『摂津名所図会』12冊は、寛政8(1796)年と10(1798)年に上梓され、摂津国・大坂の名所の地理や歴史、祭礼、年中行事を網羅する。著者は秋里籬島。文字情報を中心とした書籍だが、竹原春朝斎の社寺鳥瞰図のほか、大坂の画家、丹羽桃溪らの挿絵も魅力に富んでいる。