CEL編集室
2018年11月01日作成年月日 |
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2018年11月01日 |
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情報誌CEL (Vol.120) |
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深センを見て見ぬ振りをしてきた日本
日本と深センのあいだにはすでに浅からぬ関係がある。三洋電機がここに大きな工場をつくったのは、深センが中国で最初の経済特区に指定されてから3年後の1983年のこと。以後、経済の浮き沈みのなかでも、多くの日本企業がこの街の製造業の発展にも寄与してきたことは事実だ。とはいえ、長らく日本人の「深セン観」が大企業および製造業の側から見た一方的なものであったことは否めない。
「深セン駐在員の深セン知らず、ですからね」と話すのは、2011年に深センでジェネシスという会社を創業した藤岡淳一氏だ。
「日本企業に勤める彼らは毎朝、『日本経済新聞』を読み、オフィスでは日本語を話し、週末はマカオでゴルフをするような人たちが多い。南山地区のハイテクソフトウェア・パークで何が起きているかにも、まったく関心をもってこなかった」
一方の藤岡氏は2001年以来、デジタル機器を扱うベンチャー企業などに勤めながら、さまざまな形で深センの製造現場と深いつながりをもってきた。21世紀の深センがどう変わってきたのかを、内部からつぶさに見てきたという稀有な経験をもつ人物である。
「日本のテレビや新聞、雑誌など大手メディアにも責任があったと思います。彼らがこの10年間、中国のことをあまりちゃんと報じてこなかった。中国の経済や技術力は伸びているが、やがて崩壊するだろう……そんな風に書かなければ記事にならない、と記者たちがこぼしていたのを聞いたことがあります。要は、日本はこの間、深センを見て見ぬ振りをしてきたんです」
深センのサプライチェーンがもつ力の源泉とは何か?
では藤岡氏が知悉する深センのローカル・サプライチェーンとはどんなものなのだろう? それは、南山地区で今、怒濤のごとく起きているイノベーションを支えるものでありながら、より深く地域に根ざした一種のレガシーとでも呼べるものだという。そして藤岡氏は深センのサプライチェーンを「あらゆるベンダーや業種が数百、数千という単位で密集する、深い森のようなもの」に喩えた。