池永 寛明
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2020年07月01日 |
池永 寛明
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都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.125) |
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私たちが考える万博
第4回
コロナ禍後の社会に向けて大阪・関西万博をどう考えるか
新型コロナウイルスが世界・日本に蔓延するなか、5年後に開催する大阪・関西万博は世界の人びとに何を伝えられるのか。社会・経済システムは大きく変化し、人びとの生活スタイルがこれまでとは一変する可能性がある。社会的価値観が変化したコロナ禍後社会における万博の意義について、池永寛明大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所顧問と考察する。
コロナ「禍」が示すこと
――元の社会には戻れない
122号より「私たちが考える万博」と題し、「大阪・関西万博2025」はどうあるべきかを考えてきましたが、新型コロナウイルスを契機とした社会の急変により、これまで想定してきた未来社会の姿を見直さざるを得なくなりました。
コロナ禍の先行きが見えないことからくる「不安」が社会に蔓延しています。その根底にあるのは「このまま元の社会に戻ることができないのでは?」という不安でしょう。しかし、ここではっきり言えるのは、新型コロナウイルスの蔓延が終息したとしても、世界および日本社会は「元の社会には戻れない」ということです。
それを象徴的に表しているのが、報道などで見るコロナ「禍か」という言葉です。「禍」とは「わざわい」とも読みますが、「災」ではなく「禍」の字をあてていることに、今回の「わざわい」の本質があります。
2011年の東日本大震災という「災」害時も、絶望感、悲壮感といった社会を後退させる空気感に覆われました。しかし災害は、壊れたものは直せる、無くなったものはつくり直せるという思いのもと、復興に向けて努力ができた。従前通りとはいかなくとも「頑張れば元に戻れる」という思いで前に進めた。ところがコロナ「禍」は、もはや「頑張ろうだけでは戻れない」状況であり、「どうしたらいいのか」という不安が募るばかりです。
今必要なのは、「コロナ禍後の社会・経済システムは大きく変わる」という前提で現状を捉え直すという視点です。今回は、コロナ禍後の社会がどう変わっていくのかを考察しながら、この近代最大の危機ともいわれる世界のこれからに向けて、大阪・関西万博は何ができるかを考えたいと思います。