池永 寛明
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2021年07月01日 |
池永 寛明
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都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.128) |
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2025年、コロナ禍を経て開催される、大阪・関西万博。先行きが不透明な時代のなかで歩みを進めるために、われわれはどのように未来に向けたメッセージを発信するべきだろうか。そのヒントを、100年前、同じ大阪で、奇しくもパンデミックの後に行われた博覧会から探ってみたい。
「浮き足立つ時代」
5月上旬の現在、新型コロナウイルスの感染状況は落ち着いているとは到底言えない状況です。コロナ禍は決して一過性のものではなく、少なくとも令和一桁の時代にはその影響が続くと私は思っています。
近代の歴史を振り返ってみると、改元後の新元号が一桁の年代に大きなうねりが起こっていることに気づかされます。たとえば平成一桁年代はバブルが崩壊し(平成3年)、平成という時代を象徴づける社会現象のひとつとなりました。昭和の場合は金融恐慌(昭和2年)にはじまり軍国主義の台頭、十五年戦争へと向かった時代に当たります。そして明治時代は、それまでの価値観がすべて覆された明治維新によるパラダイムシフトが起こりました。つまり新元号一桁年代というのは、先行きが不透明でどこか「浮き足立つ時代」だと言えるでしょう。そして、この時期に起こった社会現象がその時代の空気・社会的価値観に影響を与え、決定づけることが多いと思うのです。
そう考えると、令和時代はコロナ禍がその社会現象となるでしょう。今回はそうした「コロナ時代」に開催される大阪・関西万博を通して伝えるべきことを改めて考えていきたいと思います。
大大阪記念博覧会が教えてくれること
歴史をひもといていくと、実は現在と同じような状況で行われている博覧会があることに気づきます。それは1925年に開催された大大阪記念博覧会です。何が同じかといえば、この博覧会はパンデミックを経た後に開催されたものだということです。
現在、コロナでパニックになっているのと同じように、大大阪記念博覧会が開催される前の1918〜20年に、世界的にスペイン風邪が流行していました。スペイン風邪は今でいうインフルエンザですが、数億人という単位で感染者を出したまさにパンデミックを引き起こした感染症なのです。当時日本の全人口5473万人中2380万人が感染したということからも、その威力のすさまじさはおわかりになるのではないでしょうか。
そうした世界的な感染症の流行の後に行われたのが大大阪記念博覧会です。この博覧会は、市域拡張により大阪の人口が日本一となり「大大阪」時代が実現したことと、主催の大阪毎日新聞15000号の刊行を祝して、1925年3月15日〜4月30日に開催されました。会期中には約190万人もの来場者が訪れています。