湯澤 規子
2022年03月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2022年03月01日 |
湯澤 規子 |
都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.130) |
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漆黒の闇に浮かぶ光の船
「ワシはほんまに、東洋一やテ、思てたで」。父の言葉に、私は一瞬耳を疑った。
以前上梓した、『胃袋の近代』(名古屋大学出版会)という一書の中で、私は大阪市の中央卸売市場を「東洋一と謳われた」と紹介し、その賑わいを描写したことがある。すると、それを読んだ父が、「ワシはほんまに、東洋一やテ、思てたで」と、懐かしむようにつぶやいたのである。「お父さん、中央卸売市場のコト、知ってるの?」と返すと、「知ってるも何も、そこで働いてたがな」と言うではないか。
あらためて聞いてみた話はこうである。
時は1961年頃、中学3年生の父は、冬休みに旅行に出かけるために、日銭を得られる場所を探していた。すると宇佐美君という同級生の一人から「ほんなら、朝一番の御堂筋線で本町駅へ行って、西南の角の交差点で待っとって」と言われたという。
午前4時半、朝一番の電車で最寄りの駅を出ると、5時に本町駅に到着する。駅を出て、言われた通り、御堂筋の交差点の西南の角で待っていると、どこからともなくヘッドライトをつけた1台のトラックがやってきた。それとわかると父は荷台に乗せられた。この時点では、どこに連れて行かれるのか、どこで働くのか、全くわからなかったらしい。
まだ夜が明けない町をトラックは黙々と走っていく。しばらくして唐突に現れた景色に父は思わず息を呑んだ。漆黒の闇の中、電気が煌々と灯る光の塊が、まるで巨大な船のようにぶわっと目の前に現れたからである。それが、大阪市中央卸売市場だった。「なんとも言えん景色やったなぁ」。遠い目をして父はつぶやく。まだ大阪の町が寝静まっている頃、市場は威勢の良い怒号と喧騒とで、まるで大きな生きもののように躍動していた。
喧騒と鼻唄
―天下の台所の賑わいとその歴史
早朝といっても、とっくに市場は眠りから覚めて動き出しており、トラックから降ろされると、休む間もなく朝の10時まで仕事が続いた。公設市場や商店街が大阪のおばちゃんでごった返す女の世界だとすれば、当時の中央卸売市場は男だらけの世界だった。
ピリッと張り詰めた緊張感の中に、「通られへんやないか!」「何やと!」と、トラックの駐車位置などをめぐるケンカが勃発するのは日常茶飯事。そうした喧騒の中、市場に設置されたスピーカーからは、当時、第三回レコード大賞を獲ったフランク永井の『君恋し』が大音量かつエンドレスでかかっていた。