池永 寛明
金澤 成子
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2022年03月01日 |
池永 寛明 |
都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.130) |
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2025年開催の大阪・関西万博をどう考えるのか。これまで8回にわたりエネルギー・文化研究所(以下、CEL)の池永寛明顧問を中心に多角的な考察を進めてきた。
その間、コロナ禍という誰もが想定していなかった社会状況の到来を経たことで、新しい社会のあり方への模索と、議論の射程は拡大してきた。
最終回となる今回は、これまでの総括として金澤成子CEL所長と対談を行った。
CELで考えてきたこと
金澤 「私たちが考える万博」の連載は、2019年の『CEL』122号よりスタートしました。それまでも池永さんはCEL所長として「ルネッセ(再起動)」をテーマにさまざまな提言をしてこられましたが、この連載ではより俯瞰的な視点で、特に後半はコロナ禍があり、これから社会がどうあるべきかを軸にした考察へと広がったと感じています。
このたび池永さんが顧問を退任されることとなり、あらためてこれまでの取り組みや、万博についてのお考え、今後CELに期待されることなど幅広くお聞きしたいと思います。
池永 金澤さんがご紹介くださった通り、この連載は私が2016年4月にCEL所長に着任してから得た知見を土台として、新たな視点で大阪・関西万博を考察しようと始めたものです。そこで、まずは私が着任してから考えてきたことをまとめながら、それらを踏まえてコロナ禍後の社会、そして万博がどうあるべきかをお話ししたいと思います。
これまでにも繰り返し言及していますが、私がCELに配属された当初、まず考えたのは、研究所名にある「文化」とは何かということでした。一般的に文化というと芸能、芸術といった対象を指すと捉えがちですが、それだけではありません。そもそも文化の語源は「栽培・耕作」を意味する“cultivate”です。土地を耕し、種を蒔き、水・養分を与え、収穫し、取り出した種をまた植えて…というように、人間が何らかの活動を繰り返し、承継していくことに本質的な意味があるわけです。それもただそのまま受け継ぐのではなく、これまでのやり方の95%を承継し、新たな5%を加えて、洗練し繰り返していくことに意味があるのです。
金澤 本質を守りながらも新たなものを少し加えて次代につないでいくということですね。
池永 そうです。何より文化はある日突然生まれてくるものではなく、人々を取り巻く風土のなかで醸成され、洗練されていくものです。つまり、風土が感性をみがき、文化を育むのです。