橋爪 節也
2022年03月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
2022年03月01日 |
橋爪 節也 |
都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.130) |
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
二〇二二年二月、大阪市北区中之島に、待ち遠しかった新しい美術館が誕生した。大阪市制100周年記念事業の構想から、三十年を経て開館する大阪中之島美術館である。コレクションには、EXPO'70と密接であった大阪発の前衛団体「具体美術協会」の作品も多く収蔵されている。
「具体美術協会」は、一九五四年(昭和二十九)、吉原治良(一九〇五〜一九七二)をリーダーに結成された。白髪一雄、村上三郎、嶋本昭三、元永定正、金山明、田中敦子らが参加し、フランスの批評家ミシェル・タピエが海外に紹介し、世界的に評価されるようになる。
一九六二年(昭和三十七)、本拠地である美術館「グタイピナコテカ」を中之島に開設する。食用油会社の社長でもあった吉原が自社の蔵を改造した施設で(吉原没後閉館)、世界的なアーティストであるジャスパー・ジョーンズ、サム・フランシス、ラウシェンバーグや、作曲家のジョン・ケージなどが訪問した。新しい美術館とは目と鼻の先である。
万博で「具体美術協会」は全天全周映画"アストロラマ"で知られるみどり館のエントランスホールでの展示と、「お祭り広場」の「具体美術まつり」でパフォーマンスを行った。前衛芸術が万博会場の大衆的な空間に侵入したわけである。
一方、万博前年の一九六九年(昭和四十四)に南大阪ベ平連[*]が、万博を安保条約改定から目をそらすイベントと批判して「反戦のための万国博」(「ハンパク」)を大阪城公園に開催する。当時、学生であった世代(団塊の世代)には、現在でも大阪万博には一度も行ったことのない「ハンパク世代」であることを自負される方が多い。
さらに近年、「ハンパク」に近い立場から「万博こそは、戦後『日本の前衛』がいっせいにそこに結集し、みずから歴史のフロンティアたる前衛を武装解除した『歴史の終り』であったことがわかってくる」という刺激的な意見もある(椹木野衣『戦争と万博』美術出版社、二〇〇五年)。
こうした議論も、EXPO'70がもたらした遺産として認識する必要があるだろう。万国博美術館の系譜をひく国立国際美術館とともに、新しい美術館もまた、EXPO'70を再検証すべき立ち位置の美術館である。
[*]「ベトナムに平和を! 市民連合」