山納 洋
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2024年03月01日 |
山納 洋
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都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.134) |
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アメリカでは近年、郊外の貧困化が進んできている。このことは都心部の再開発と白人富裕層の都心回帰によってもたらされているが、結果、都心部のジェントリフィケーションと郊外部での人種多様化という状況が生まれてきている。ウォーカブルについての議論は都心だけでなく “歩けない郊外”も視野に入れておく必要がある。
ケンダルスクエアの再開発と家賃高騰
2018年8月から10カ月間、私はハーバード・ケネディ・スクールのフェローとして、アメリカ・マサチューセッツ州ケンブリッジ市に滞在していた。当時住んでいたアパートはケンブリッジ市庁舎の裏手にある、1900年頃に建てられたヴィクトリア様式の3階建ての建物で、半地下にある24m2のワンルームを借りていた。月家賃1650ドル(当時で約18万円)はこの界隈の底値に近く、他のほとんどの物件の家賃は20万円を超えていた。そして学生の多くはルームシェアをして暮らしていた。
このアパートから東に約1kmのところに、ケンダルスクエアがある。スタートアップ企業やIT系、製薬・バイオ系企業が集積し、「世界で一番イノベイティブなスクエア」と称されているところだ。この界隈は、かつてはチャールズ川沿いの湿地だったが、1793年の西ボストン橋(現・ロングフェロー橋)建設、1810年のブロードキャナル開削により物流利便性が高まり、印刷・出版、楽器・家具・衣服・石鹸・菓子などの製造、食肉加工などの工場が集積するようになった。これらの産業の多くは第二次世界大戦後には競争力を失い、廃れている。
現在のIT・製薬企業集積のきっかけとなったのは、1916年にケンダルスクエアの南側にマサチューセッツ工科大学(MIT)が移転したことである。同大学はキャンパスを次第に拡張し、界隈はテクノロジーの拠点としての様相を帯びるようになっていった。そして2000年以降、ライフサイエンス分野での投資を政策的に誘導したことで、かつての工業エリアがオフィスや研究施設として再開発され、脱工業時代の新産業がここに集積するようになったのだ。今ではグーグル、フェイスブック、IBMもケンダルスクエアのすぐそばにリサーチラボを構えるようになっている。