坂倉 杏介
山納 洋
作成年月日 |
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2024年09月01日 |
坂倉 杏介 |
都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.135) |
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人と人がつながり、新たな何かを生み出すような関係性を育んでいく――。
そんな創発的な場=コミュニティをつくるため、私たちはどのように考え、振る舞えばいいのか?
それには、単なる場づくりだけでなく、生身の人と人が関わる実践に本質を探っていく必要がある。
東京都港区の「芝の家」や「三田の家」、さらに世田谷区での「おやまちプロジェクト」など、
先進的な試みを通しコミュニティ・マネジメントを研究されている坂倉杏介さんにお話を伺った。
山納 まず、坂倉さんがどう「場づくり」と関わるようになったか、教えていただけますでしょうか?
坂倉 大学では美術史を学び、就職して博物館や展示会の企画を手がける仕事もしました。でも今の「場づくり」と直接つながるのは、慶應義塾大学の大学院に戻って受けた熊倉敬聡[*1]先生の「美学特殊C」という講義です。そこで出会った4人で、2002年10〜11月に墨田区京島の元米屋の空き店舗を2カ月借り、「京島編集室」と名付けました。折から同地域で開催中のアーティスト・イン・レジデンス[*2]のイベント「アーティスト・イン・空き家2002」と連動する形で、制度的でも商業的でもない「オルタナティブ・スペース」を目指したのですが、私以外は若い学部生ばかり。カフェやワークショップをやろうにも、やり方がわからない。
結局、事前に用意した考えもすべて手放し、とにかく寝袋だけ持って集まり「住んでみる」ことにしました。すると、近所の飲食店のおばちゃんが炊飯器を貸してくれたり、区役所の方が訪れて廃品がもらえそうな場所を紹介してくれたり、いろいろなことが起こりはじめる。やがて顔見知りも増え、いつの間にか海外のアーティストと犬の散歩途中に寄ったおじさん、近所の小学生まで一緒に食卓を囲んでいたり……編集室の存在が、つながりの失われていた住民の自発的なアクションのきっかけとなりました。
[*1]芸術文化観光専門職大学教授。学術博士。フランス文学・思想、現代アートやダンスに関する研究と実践を行う。2000年以後、教育現場の変革の作業を展開し、大学を地域・社会へと開く新しい学びの場の創設に携わる。
[*2]アーティストを一定期間、ある土地に招き、滞在しながらの制作を行わせる事業。