上野 征洋
2009年07月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
2009年07月01日 |
上野 征洋 |
住まい・生活 |
ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.89) |
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
風化する「生きる権利」
今年のメーデー集会、例年になく「貧困」「雇用」の文字がプラカードに躍り、わずか1年前とは全くの様変わりであった。
昨年9月のリーマン・ショック以降、急激な経済情勢の変化はわが国にも波及し、雇用や福祉の切り捨てが進んだ。職や給付を失った人々は日比谷公園で越年し、「派遣村」という耳慣れない呼称がまたたく間に人口に膾炙した。その後も「派遣切り」「雇用調整」などを含めて、この半年間に約20万以上もの非正規社員が職を失い、集計からもれている外国人労働者やパートタイマーなどを含めれば倍加するのではないか、とも懸念されている。
私の住む浜松市は、愛知県東部、群馬県南部と並んで日系ブラジル人など南米からの労働者が多い。市内には3万人以上の外国人居住者、その大半が不安定な雇用の波に漂っている。
3月29日と30日の両日、公園に多くのテントが張られ、旗や幟がはためく中、「トドムンド浜松派遣村」が実施された。トドムンド(todomundo)とはポルトガル語で「みんなの、誰もが…」の意味である。
相談に訪れたのは、日本人と外国人がほぼ半々。前者は求職や生活保護の申請、後者は求職のほか、寮を追われて住居の困窮を訴える姿も多かった。日系ブラジル人、ペルー人の姿が目立ったが、彼らの多くはこの10年来、入管難民法改正によって呼び寄せられた自動車産業の末端労働者である。好況時には、国の内外から派遣労働者を掻き集め、不況になると切り捨てるのでは、ウォール街の強欲資本主義とあまり変わらない。
今、人々の生きる権利はないがしろにされ、生活圏が脅かされている。政府の対応は憲法二五条(生存権とその保障)に照らしても不十分といえよう。しかし、小さな連帯や自立への動機が新しい生き方や共生への道を拓く動きもある。注目すべきはコミュニティの力であり市民力である。