京 雅也
2009年03月19日作成年月日 |
執筆者名 |
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2009年03月19日 |
京 雅也 |
住まい・生活 |
その他 |
情報誌CEL (Vol.88) |
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団地をこよなく愛する団地マニアとまではいかなくとも、今の中高年世代なら、団地という言葉に多かれ少なかれ懐かしさを感じるだろう。それは自分たちの心に残されている、かつての時代の風景につながっている。
私の故郷、岡山県の小都市にも団地はあった。そのためか、地域の子どもの数は多く、小中学校には急ごしらえのプレハブ校舎が増設された。私たちの学年の教室はいつもそこ。夏は暑く、冬は寒かった。時々連れだって団地に行き、広場にある遊具や砂場のあたりで夕暮れまで遊び回った。5時頃になると、どこからか聞こえてきたチャイムの音。
もっと後になってからの思い出は、学生時代の引っ越しのバイト。その日の行き先が団地だと分かると、まず何階かが気になった。もちろん、エレベータがないからで、5階から5階への引っ越しにあたると、一瞬目の前が真っ暗になった。どうやってこの部屋に入っていたのかと思うほどたくさんある大小の荷物。それを全部人力で降ろし、引っ越し先ではフウフウ言いながら運び上げた。30年近く前のことだが、当時の団地はまだその輝きを失っていなかった。
年月がたち、次第に住民の高齢化と建物の老朽化が顕著になってきた。人工的に一気につくったまちだから、矛盾点も一度に顕在化してくる。その団地を、これから持続可能なかたちでどう再生していくべきか。
今号で、何人もの方が指摘されているように、再生するべきものは、ハードだけでなく、住民の生活とコミュニティだ。周辺の地域に開かれ、若い世代にとって魅力があり、高齢者も暮らしやすいまちにしていく。そこで子どもを育てたり、また仕事をしたりと、多様な人や世代が混合するまち。さらに地域の特質を生かしながら、新しい居住のかたちを探っていくこともできるだろう。これからは、それをどう具体化し総合的にマネジメントしていくのかが問われてくる。その一方の主体は、住人自身でないといけない。