多木 秀雄
末石 冨太郎
作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2009年01月08日 |
多木 秀雄
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エネルギー・環境 |
地球環境 |
情報誌CEL (Vol.87) |
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近年、世界各地で水問題が深刻化している。水は、生活用水としてはもちろん、食料の生産にも不可欠であり、さらには排水による汚染は生態系へも大きな影響を及ぼすものである。今後の世界人口の増加が水問題にいっそう拍車をかけることも懸念されている。
その一方で、日本では、水資源に恵まれていることに加え、身近に水辺が少なくなっていることなどから、水の“有り難み”を忘れがちである。食料の多くを海外に依存している現状があり、その生産に必要な水の量を想定すると日本は水の輸入大国としての潜在的な問題を抱えている。
このような状況を踏まえ、今回の特集における対談では、長年にわたって水資源問題や環境問題に取り組んで来られた末石冨太郎先生をお招きし、日本の水環境の現状を踏まえながら、その保全や改善の方途、さらに水に親しむ生活の文化的な意味などについてお話をうかがった。
水道が普及する前には「水屋」が水を売り歩いた
多木 日本は「瑞穂の国」とも呼ばれるように、暮らしのいろいろな場面に水が登場してきます。また、「水に流す」とか「水の泡」「湯水のように使う」「水を治めるもの国を治める」など、水が出てくる慣用句や諺がたくさんあります。これは、水というものが私たちの暮らしに密着していて、大切なものであったということの象徴であると思います。
末石 ええ、水を治めることを「治水」と言うでしょう。「献水」という言葉もあります。また、洪水を防ぐのが「治水」、「防水」。その昔、筑後川流域の水環境の調査中に見た記念碑には「活水」という言葉もありましたね。