福廣 勝介
2009年01月08日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2009年01月08日 |
福廣 勝介 |
エネルギー・環境 |
地球環境 |
情報誌CEL (Vol.87) |
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はじめに
川好きの僕は、本誌から「川の話」の原稿依頼をいただいて、気軽に引き受けておいて、それ以降、原稿締め切り直前まで「川の全国シンポジウム―淀川からの発信―」(08年11月2・3日、京都大学時計台ホールにて)の開催準備におおわらわだった。締め切り間際、一気呵成にと思って、よくお題を眺めてみると、「川」ではなく、「水と共に暮らすことの意味」である。一瞬凍ったけれど、もう仕方ない、川に流れているのは水と開き直って、川に重きを置いて書かせていただこう。
水の惑星で暮らし、自らの身体も大部分が水分である我々と水との親和性はきわめて高い。身体は水よりもわずかに軽いため、水に浮くことで、気軽に川やプールに泳ぎに行けるし、水分も飲み込みやすいのだろう。そして何よりも、石油はなくとも生きられるが、生命を育む水はなければ生きていけない。今、普通の人は水と聞くと、蛇口から出てくる水を思うのだろうが、水の形はさまざまである。「水と共に暮らす」からの連想も、皆さん、さまざまであろう。近い人に「水と共に暮らす」から、何を連想するかを問えば、「井戸」と答えが返ってきた。僕は「川」であるが、決して川の専門家ではない。川と水路網の町、三重・伊賀名張で生まれ育って、ずっと、川であり、堀割をそばで眺めてきた一住民としての意見である。
まずは、井戸と川あたりから、僕の水想いを書いてみたい。