石川 英輔
2008年01月10日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2008年01月10日 |
石川 英輔 |
エネルギー・環境 |
地球環境 |
情報誌CEL (Vol.83) |
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贅沢を贅沢と思わない
われわれはとても便利な暮らしをしている。
といっても、こういう世の中に生まれ育った若い世代の人にとっては、これが当たり前であって、特に便利とも不便とも感じないかもしれないが、人類の生活に電気冷蔵庫やカラーテレビが必需品になってから、まだいくらもたっていないのである。人類などと大げさなことを言わなくても、昭和二〇年代後半(一九五〇年代)、私の高校生当時は、白黒テレビや電気冷蔵庫を使うどころか、実物を見る機会さえほとんどなかった。
しかし、どこにもないような機械が自分の家にないからといって、不便だとか不幸だとか思う人がいるはずもなく、私たちは不平も言わず平気で暮らしていた。
その頃から約五〇年が過ぎた今、私たちは当時の常識では、ほとんどSFの世界と言っていいほど便利な機械に囲まれて暮らしている。カラーテレビも、ブラウン管式のは、すでに旧式になった。自家用乗用車に至っては、かつては富豪の乗り物であり、中学頃までの私は、自分が生きているうちに乗用車のオーナーになれる可能性があるなどと想像したこともなかったが、今では、軽乗用車が贅沢だと言えば子どもでも笑うだろう。
五十年前には、東京でさえ電話のない家の方が多かったし、たとえあっても、ダイヤル直通でかけられるのは都心部の電話同士だけだった。ところが、今では小学生でもケータイを持っているというように、今のわれわれが当たり前だと思っている生活は、わずか半世紀前には夢にも見なかったほどの便利さ、贅沢さなのだが、大部分の現代人は、これを贅沢だと感じていないのである