田端 英雄
2007年01月31日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2007年01月31日 |
田端 英雄 |
エネルギー・環境 |
エネルギー・ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.79) |
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はじめに
日本列島は、平坦部をのぞくと緑豊かな森林によって覆われている。しかし、私たちと森林との関わり方は、昔と比べるとすっかり希薄になった。今では山村でも、大人も子供もあまり山には入らなくなってしまった。 昔、私たちは森林とどのような関係を持っていたのか。薪は木を伐り倒して作った。柴は林内の低木を刈り取って作った。地域によっては一年中炭を焼いたが、普通は冬に炭を焼いた。子供も炭を運んで働いた。都会でも薪を使ったし、炭はなくてはならない燃料であった。森の木がエネルギー資源として暮らしに生かされていた。しかし、一九六〇年代後半から一九七〇年代にかけて、森のエネルギーは化石燃料にとって代わられて、私たちと森との関わりは少なくなってしまった。春にはワラビ、ゼンマイをはじめ、コゴミ、タラノキの芽などの山菜を採りに山に入った。秋にはキノコ狩りである。晩秋から冬にかけては、堆肥を作るために林床の落ち葉掻きをした。子供も、秋にはキノコを採りに山へ行った。私が育った丹波では、マツタケ山でなくてもマツタケ、シメジ、クロカワなどがたくさん採れた。焚きつけにする松葉を掻きに、松林に行かされた。昆虫採集にも行った。背中がピカッと光るカブトムシを見つけると、樹幹を蹴ってカブトムシを落とした。樹液がにじみ出ている「秘密のクヌギの木」にクワガタを捕りに行った。このようにして燃料やキノコや山菜を採り、永年使い続けられた森林が里山林である。子供たちの遊び場でもあった。