佐藤 俊樹
2006年09月30日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2006年09月30日 |
佐藤 俊樹 |
住まい・生活 |
ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.78) |
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わかりやすい格差とわかりにくい要因
よくも悪くも、目に見える。
それが所得格差の特徴だ。お金は命と家族の次に大事なもので(いや人によって順位は少しちがうだろうが)、その額の上でどれだけ差がついているかが、さらに一個の数値で出てくる。ある意味、こんなにわかりやすい格差はない。
それだけに話題も注目も集まりやすい。今年に入ってからも国会でとりあげられ、新聞や雑誌で「格差が拡がった」「いや見かけ上だ」と喧々諤々やっていた。
しかし、よく考えてみると不思議な話だ。わかりやすいのに、なんで喧々諤々の議論になるのだろう? イエスかノーか、はっきり答えが出てもよさそうなのに。
所得格差を扱うむずかしさはそこにある。金額として目に見える一人ひとりの収入には、目に見えないたくさんの要因が働いている。一人ひとりの努力や能力だけではない。受けついだ資産の有無、育った環境、さらには運不運。そのうちのどれがどれだけ影響しているのかは、見分けにくいのだ。
意地悪い見方をすれば、だからこそ、収入格差は話題になりやすい。一方で、格差そのものは目立つから、人々の心に強く訴えかける。他方で、どの要因がどれだけ働いているかは見分けにくいから、語る人・聞く人が自分の考えを勝手に投影できる。それらは百パーセント事実ではないが、百パーセント幻想でもない。生活の実感と個人的な思い込みをいろんな形で取り込みながら、格差のイメージはつくりだされる。