菅谷 明子
2006年09月30日作成年月日 |
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2006年09月30日 |
菅谷 明子 |
住まい・生活 |
ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.78) |
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「真実」とは何かを問う力の必要性
日本でも最近、「メディア・リテラシー」という言葉を目にする機会が増えたのではないかと思います。しかし、その内容について詳しく知っている人は、まだまだ少ないのが現状ではないでしょうか。
私が講演会などでメディア・リテラシーについて説明する際には、「メディア・リテラシーとは、メディアの性質や社会的な意味を理解し、メディアが送り出す情報を主体的に読み解くとともに、メディアを使ってコミュニケーションを創り出すなど、メディア社会と積極的に付き合う力をさします」と説明しています。” リテラシー“とは読み書きをする力の意味ですから、メディア・リテラシーはメディア時代の「読み書き能力」と言い換えてもいいと思います。
言いかえるなら、メディア・リテラシーとは、メディアの特性や社会的な意味を理解し、メディアが送り出す情報は、「送り手の選別を受けたもの」「構成されたもの」であると捉え、建設的に「批判」し、また、自らの考えなどを、メディアを使って表現し、社会と効果的にコミュニケーションをはかる能力のことと言えます。 その原点には、「メディアが送り出す情報は現実そのものではなく、送り手の観点から捉えられたものである」ということがあります。私たちが知り得る「事実」のほとんどは、事実を調べた誰かの選択をとおした結果のもの、つまり多くの情報の中から選び取ったものが提出されているというわけです。事実を切り取るためには主観が必要であり、” 何かを伝えるということは、何かを伝えない“ということでもあるということを理解した上で、メディアの情報を受け入れる必要があるのです。