橋爪 節也
2006年09月30日作成年月日 |
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2006年09月30日 |
橋爪 節也 |
都市・コミュニティ |
都市システム・構造 |
情報誌CEL (Vol.78) |
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CEL78号
―失われた都市の記憶を求めて―
美術都市・大阪 発見 第二回
橋爪節也 大阪市立近代美術館(仮称)建設準備室・主任学芸員
ミラボー橋の下、セーヌが流れ、
“大大阪”にはモダニズムが香る
モダン大阪の時代、近代建築が建ち並ぶ中之島界隈は、パリのシテ島に見立てられた。昭和12年の観光映画『大大阪観光』も観光艇「水都」よりの眺めを讃える。近代の洋画家たちは、こうした中之島の景観に象徴される都市にモダニズムを求め、新しい美意識をカンヴァスに描きとめようとした。
洋画の街・大阪―。それを代表する二人の個性的な洋画家、小出楢重と鍋井克之。彼らの設立した信濃橋洋画研究所の公募展は、やがて全関西洋画展へと発展する。彼らは大正末・昭和初期の「大大阪時代」のこの街に、モダニズムの美を見いだそうとした。
注目されたのが中之島界隈の近代建築群である。鍋井は中之島の景観を「全く近代的な魅力を持つた都会風景画」と絶賛し(『風景画を描く人へ』大正十一年)、小出も「大阪の近代的な都市風景」として、「大正橋や野田附近の工場地帯も面白く思うが、中央電信局中之島公園一帯は先ず優秀」(「上方近代雜景」、『めでたき風景』所収、昭和五年)とした。また小出は、大建築が増加するほど「都会としての構成的にして近代的な美しさ」は増加するとし、鍋井も「近代的と云ふこと」はそれだけでかなり「魅力のある事」で、「いやでも次に生れて来るべきものの資格である」と強調した。
彼らは理想とするモダン都市と新しい時代の美の感性を、中之島の近代建築群に託して作品に結実させようとしたのである。
彼ら以外の洋画家たちも中之島を描いたし、また何も写実による都会風景だけではなく、さまざまな傾向の美術が大阪で描かれた。未来派、抽象絵画、超現実主義などの前衛的なアートの潮流が渦を巻きつづける…。
面白いことに小出、鍋井をはじめ、足立源一郎、青木宏峰、池島勘治郎、田村孝之介、吉原治良、佐野繁次郎など、大阪出身の洋画家には商家の“ぼんぼん”出身が多い。「大阪人の新しいもの好き」と、二十世紀の美術が都会から誕生したことをみごとに証明している。