大江 守之
2006年06月25日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2006年06月25日 |
大江 守之 |
住まい・生活 |
住生活 |
情報誌CEL (Vol.77) |
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大都市郊外と大規模団地
大規模団地という言葉から人々が思い描くイメージは、おそらく千里ニュータウンや多摩ニュータウンの初期の開発に共通して見られるような五階建て板状集合住宅がずらっと並ぶ風景ではないだろうか。一九五五年に設立された日本住宅公団によって開発が進められたこうした団地は、当時は人々の憧れの的であり、高い倍率のなかで運良く抽選に当たった家族は、そこでの新しい生活に期待を膨らませて入居したに違いない。
こうした一九六〇〜七〇年代を中心に供給された集合住宅団地の入居者は、一九三〇年代前半から四〇年代前半生まれの世代が中心であった。一九三〇年代前半生まれ、一九三〇年代後半生まれ、一九四〇年代前半生まれが、三〇代前半を迎えた時期の人口は、それぞれ八三二万、八四四万、九二五万で、団塊の世代を含む一九四〇年代後半生まれの一〇七七万には及ばないが、大きな人口規模を有していた。おおむね一九二五年から五〇年に生まれた世代は、社会が近代化する過程で起こる人口転換(多産多死から多産少死をへて少産少死へと移行する人口動態変化)の多産少死期に当たり、きょうだい数が多いという特徴を持っている。その中心に位置する一九三〇年代前半から四〇年代前半生まれは、成人する頃が高度成長期に当たり、親と跡継ぎやその配偶者になる者を地方に残して、就業や進学のために大都市に集中した。大量の若者が大都市に流入した背景には、こうした特異な人口学的背景があった。