村上 和夫
2006年03月25日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2006年03月25日 |
村上 和夫 |
都市・コミュニティ |
地域活性化 |
情報誌CEL (Vol.76) |
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町並み保存の動き
ヨーロッパやアメリカを旅行していると、「歴史地区」として保存されている町の古い一画に足を踏み入れてしまうことがあります。その町は建物の外観がきれいに修復されていて、往時の町並みをしのばせてくれますが、それは建物の内部にまで及んでいて、昔のままの生活が再現されていることもあります。また、歴史資料館のようなものも存在していて、町の戦いの歴史や時代ごとの風俗が紹介されていることがあります。それは歴史の中心となってきた大都市ばかりではありません。地方の小さな町でもそうです。確かにヨーロッパでは、小さく分かれた国々が戦いを繰り返してきた歴史があり、彼らはそれぞれに自分たちの文化を誇示しようとするので、このような自分たちの記憶としての町並みを残したいと思う気持ちは理解できないわけではありません。
私は、先年ベネチアで暮らしていたことがありますが、かつて強大な勢力を誇ったベネチアの支配下にあったアドリア海に面した地域では、今でもベネチア文化が色濃く残されています。町並みが保存されているばかりか、食べ物についてもベネチア色の強い料理と、町の古いレストランや農家レストランで出会えます。イタリアの隣国スロベニアの町で食事をした時に、レストランのカメリエーレ(給仕人)は、料理人は自分の母親だといった後に、独立する前にはベネチア色の強い伝統料理を家で食べることはあっても、客に出すことはできなかったと、自分たちの料理を誇らしげにしていたことが強く印象に残っています。ベネチアは、彼らスロベニア人を支配した国であったのではないでしょうか。そして独立前の国ユーゴスラビアは、労働者が作る社会主主義の国ではなかったでしょうか。支配と歴史のながれの間にあるねじれが、彼の言葉への私の印象を深くしたのです。