茶谷 幸治
2006年03月25日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2006年03月25日 |
茶谷 幸治 |
都市・コミュニティ |
地域活性化 |
情報誌CEL (Vol.76) |
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生産と消費の現代都市
まず、都市の記憶を語りたい。
コンピュータと同じように都市は記憶装置を内蔵していて、膨大なデータを記憶している。都市の記憶装置には、その都市に生きていた人びとの思想や行為がすべて保存されていて、それが都市の現在を機能させている。
ところが、現代人が日常生活で使用している都市の記憶は、記憶全体のごく一部にすぎないのではないか。それは主に生産と消費にかかわる記憶で、経済というプログラム、あるいは企業や家計というプログラムによって利用される記憶である。現代都市では、経済にかかわる記憶が都市の大部分を占拠して、他の記憶を圧倒している。
実際に都市とは、かつては生産都市のことであり、今は消費都市のことをいう。都市生活はそのまま経済生活である。経済生活は貨幣生活である。都市では娯楽であれ休息であれ、忠義であれ裏切りであれ、純愛であれ売春であれ、いつも貨幣で計算される。
貨幣は現在価値である。だから都市も、現在が最も価値を持つ。貨幣は過去を考慮しない。だから現代都市も過去を遮断する。われわれの都市生活の日常に過去はない。貨幣は客観的である。だから現代都市もほとんど主観がゆるされない。