土居 年樹
2006年03月25日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
2006年03月25日 |
土居 年樹 |
都市・コミュニティ |
地域活性化 |
情報誌CEL (Vol.76) |
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
日本中の商店街の衰退ぶりは目を覆うものがある。なんと全国で97%が衰退しており、繁昌しているのはわずか3%にしかすぎないという。
私は、先代の跡を継いで50年、街の「茶碗屋」の目を通して、大阪の天神橋筋商店街を見続けてきた。とりわけ昭和50年以降は、商店街の一役員として、その活性化に取り組んできた。そこにはさまざまなドラマがあり、「喜びも悲しみも幾歳月」の人生があった。だが、その中で一貫して持ち続けてきた思いは、「この街が好き」「この街を残したい」ということだった。私は、そのためには、天神橋筋とそこで活動する「街あきんど」の存在が不可欠であると信じている。
今から40年程前、商店街の大晦日は人でごった返していた。そこには客と店主の触れ合いや掛け合いがあり、売り手と買い手が買い物を楽しんでいた。その光景を懐かしいものと感じる人も多いはずだ。
しかし、昭和32年、千林商店街に「主婦の店・ダイエー」が出現したのを契機として、徐々に商店街への客足は遠のいていくことになった。
昭和56年に天神橋筋三丁目商店街が、日本で初めて商店街発のカルチャーセンターを開設したのをきっかけに、行政のソフト事業に関する支援が取り入れられ、全国的に「商店街に文化を」という機運が高まってきた。
私は、商店街は「商い文化」以外にも目を向けるべきだと言い続けてきた。その周辺には、芸能・芸術文化、物づくり文化、お祭りなどの伝統文化といった地域文化がきら星のごとく存在しているからだ。あたかも、いろいろな具がそれぞれの味を出し、温もりのあるご飯にまぶされ、地域という「うつわ(街)」に盛られているかのごとしである。この「うつわ」の中が活きてこそ、商店街の価値があると考えている。正にかやくご飯なのだ。