豊田 尚吾
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2005年09月30日 |
豊田 尚吾
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住まい・生活 |
ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.74) |
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日本の不平等
大竹文雄著著 日本経済新聞社 二〇〇五年
社会の格差や不平等に対する関心が高まっている。大阪ガスエネルギー・文化研究所の生活意識調査でも、いくつかの質問を、勝ち組・負け組み論や、社会の格差拡大に対する意識の調査に当てた。
しかし、不平等という言葉は、各人の持つイメージが多様で、同じことを論じているつもりでも、論点が異なると、とんちんかんなやりとりになってしまう。結果として建設的な議論が行いにくい。曖昧さを避けようとすると、まず、「不平等とは『○○とする』」という定義づけを行い、話を進めていく必要がある。それでも、不平等の「尺度」の算出ともなれば、利用可能な統計に頼らざるを得ず、本当に知りたい不平等とは似て非なる数字をいじくって話をしなければならない。
もちろん、どんな言葉でも、多かれ少なかれ今述べたような問題を孕んでいるのだが、不平等論は特にそれが深刻なのではないか。それは不平等というテーマが、人間の尊厳に関わるような問題で「定義づけ」に関する納得性が得にくいからだ。例えば、筆者で言えば、所得分布の変化という事実よりは、その評価に目が向いてしまう。その場合、自分や他者の社会における位置づけに対する納得感の有無。あるいは各人が、所得の多寡に関係なく、他者を尊敬し、社会を支えている存在としての他者に感謝しているかどうかなどの「意識」が、大きな関心事となる。