植田 実
2005年03月15日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2005年03月15日 |
植田 実 |
エネルギー・環境 |
エネルギー・ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.72) |
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人は「火」を見つめながら生きてきた
住まいも近代化が急速に進み、現代住宅で「火がある」場所と言えば、もう暖炉ぐらいしかありません。それだけに、燃える火を中心に住まいを考えることは、結論を先に言ってしまうと、今はとても難しいんじゃないでしょうか。
日本の国民性もあるのでしょうが、危険と思われるものは何でも、家の中から排除していく方向に進んでいるため、ますます私たちの生活から「火」は遠ざかっています。
私は昭和の初めの頃の生まれですが、子どもの頃を思い返してみると、よく火を見ていた記憶があります。
一つは、ロウソクをつける行為をとおして。当時はもちろん、電灯の時代になっていて、ガス灯でさえも家庭では、あまり見かけなかったわけですから、明かりとしてロウソクも必要なかったはずですが、ロウソクを点す何らかの機会は、いろいろな場面であったと思います。ロウソクの揺れる火をよく見ていた記憶はあります。子どもの頃は、火を見るということは、幻想的なイメージを湧かせ、いつまでも見ていて飽きがこなかったのでしょう。 もう一つは、子どもの頃に住んでいた家にあったガスストーブの火の記憶です。世田谷区の下北沢にあったその家は、戦争の空襲でなくなりましたが、昭和初期の新興住宅によくある、全体は和風、玄関の横に一部屋だけ洋風の応接間、という間取りでした。その部屋にガスストーブが置いてあり、その碍子の間に青い火がチロチロと燃えているのが、「火」による一種の舞台のように思えて、いつまでも見続けていました。あの火はひたすら美しく、危ない感じはしませんでしたね。自分の体験から言って、子どもの時代に、ああいう火を見る生活をするかしないかによって、その後の精神に与える影響は、だいぶ違うような気がします。それが今の住宅にはなくなってしまっているんですね。