平松 洋子
2005年03月15日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2005年03月15日 |
平松 洋子 |
エネルギー・環境 |
エネルギー・ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.72) |
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電子レンジと炊飯器がない台所
日本やアジアの国々の、食文化や暮らしについて、私はこれまで書くことを続けてきた。その間ずっと、自分の実際の生活をないがしろにして理屈を書いていくようなことは、できないと感じていた。仕事として書くことと、自分の生活の間にいかに開きがないか、それはとても大切なことだった。
数年前のある日に、私は、電子レンジを捨てた。
子どもが小さかったころとか、素早く加熱することに価値があったときには、これは本当に重宝した。でも、毎日、仕事をし、食事をつくり、昨日と今日が重なりながら続いていく生活の中でも、何かがやはり変わっていく。電子レンジはもう必要ではない、そう思うときがきてしまった。
電子レンジは、調理をするのではなく、加熱するもの。素早く熱を通すうえでは有効な道具だ。でも、例えば電子レンジでブロッコリーを加熱すると、軟らかいところはぐじゅぐじゅになり、硬いところには火が通ってない。これは、やっぱり「料理」といえない。
今は電子レンジがなくても、なんの不都合もない。逆に、普通に野菜を調理するとき、気づくのは、同じ野菜ひとつでも時期によって味は大きく違うこと。例えば、春先、新キャベツのみずみずしいおいしさもそう。さらには、旬のものを薄い味付けで調理すると、やさしくそのままの味わい、仄かな味の違いがわかる。
そして数年後には、炊飯器も手放した。