中瀬 勲
2004年12月25日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2004年12月25日 |
中瀬 勲 |
都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.71) |
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時の話題 Commentary
人々を結びつけた緑のパワー―阪神・淡路大震災後の活動を振り返って―
中瀬 勲 Written by Isao Nakase
活動を振り返って
参画と協議 阪神・淡路大震災から一年余りが経過した一九九六年二月六日、「第一回ランドスケープ復興支援会議」(略称「阪神グリーンネット」)が神戸市・三宮のビルの一室で開された。予算も組織も何もない状況であったが、民間会社の好意で会議室をお借りして開催することができた。会議室を埋め尽くした数十人の被災地内外からの参加者が、復興にどのように貢献できるかについて、様々な立場から熱い議論を交していたことを鮮明に記憶している。今から思うと『参画と協議』のはじまりであったといえる。
穏やかな連携 そこには震災直後から、花や緑を通じて活動してきたメンバーに加えて、自分たちの地域を花や緑で復興したい主張する主婦や高齢者、何か貢献できないだろうかと考えている学生、今、自分たちが持っている技術で、これまで以上に貢献しようとする緑の専門家、愛好家、公務員などがいた。
設立に参加した組織は、各地のまちづくり協議会、ドングリネット神戸、復興支援グループ「ガレキに花を咲かせよう」、コープグリーンネット、シンクタンク・ユイ、兵庫県立人と自然の博物館グループなどであった。
この会議で、これまで活動していた、あるいはこれから活動しようとする様々な個人や組織が“穏やかに連携した組織”としての「阪神グリーンネット」が立ち上がり、その後の展開へと繋がっていくことになった。