山本 コウタロー
2004年09月30日作成年月日 |
執筆者名 |
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2004年09月30日 |
山本 コウタロー |
エネルギー・環境 |
環境対応 |
情報誌CEL (Vol.70) |
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破壊の伝統―人間文明の本質を問う
J・A・リヴィングストン(著)、日高 敏隆・羽田 節子(訳) 講談社学術文庫一九九二年
この本がどのくらい「エコライフ」というテーマと直結しているかを考えると、私には少々自信がない。が、「エコライフ」を支える精神を形作る上で、大いに役立つ書であることは確かだと思う。
私は、もう幾度となくこの本を読み、その都度、著者(J・A・リヴィングストン)の生命に対する思いの深さに心打たれた。と同時に、ここまで地球上の他の生命を脅かしてきた人類という存在に、救いようのないやるせなさを感じるのである。
『破壊の伝統』という題名は、訳者の手になるものだが、全体の論旨を的確に表している。原題は『One cosmic instant―Man s Fleeting Supremacy』。訳者の表現を借りれば「宇宙の一瞬間―人間の束の間の優越」である。
全ての人類による自然破壊は、人間の自然克服の過程で生じ、さらなる大量生産、大量流通、大量廃棄への過程で加速度的に進んできた。それも「束の間」の出来事なのだ。
そもそも、一握りの土くれさえも創造し得ない人間のちっぽけな英知では、自然を克服することなど、本当の意味ではできはしない。息・食とも自然の恩恵あって我々は生きながらえているのである。「自然と人間」、こう考える対立の構図そのものに人間の驕りがある。人間は自然と向き合って存在することなどできない。自然に包まれ、自然に抱かれて、ようやく暮らしているのだ。それに気付いてか、アメリカではダムを壊し始め、欧州では川を再び以前のように蛇行させる工事が進んでいる。
我々の全ての生産は、実は「破壊」と表裏をなすことを、この本は教えてくれる。その破壊が、ついには人間自体をも破滅させる。しかし、その時がきても、地球と地球上の他のいくつかの(沢山の)生命は存在し続けるだろう。「エコライフ」とは、人間のこの地球上での位置を確認し、我々の行為が結果として、我々自身に害となってしまわぬよう” 英知“を働かせるための貴重なコンセプトなのである。