曽我部 昌史
2004年06月30日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
2004年06月30日 |
曽我部 昌史 |
都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.69) |
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
団地
一九五〇年代、戦災の傷跡を覆い隠そうとするかのように、ものすごいスピードで団地は建てられていった。建てている主体は、公団や公社であったり、市や県などの行政であったりとさまざまであったけれど、いずれも戦災の荒野を覆うのにふさわしく「確実な未来」のイメージを伴ったものだった。そうして、その未来を共有しようと、たくさんの人々が入居の応募に殺到した。ぼくの父もその一人だった。愛知県の郊外にこつ然と姿を現した大きな団地に応募した。そして、一度目の応募で、かなり高い倍率の抽選をかいくぐって、新しい生活を手に入れたのだ。最近その頃の話を聞いたのだけれど、「入居できたのは
とてもラッキーなことで、みんなが羨ましがった」のだそうだ。
そうやってみんなの未来への希望を支えてきた団地が、建て替えの時期を迎えている。戦後大量の団地が建てられてきたのだけれど、歴史的な価値を認められたわずかな例外を除けば、ほとんどの建物が、すぐにでも取り壊されようとしている。実際、耐震的な視点でみれば、そのままでは不安になるようなものがほとんどだし、設備機器や金物などが耐用年数を大きく越えていて、交換しなければ使えないものも少なくない。現在のマンションと比べれば、天井の高さはとても低いし、トイレや浴室もずっと狭い。また、都心部の団地では、建築基準法の容積率と比較すると、まだまだ大きな建物を建てられる、つまり、不動産的価値でみれば、とても無駄なことをしているとみなされるようなものも多い。いつの間にか、団地は、多くの人たちに疎ましがられるような、悲しいものになっていたのだ。