阿部 仁史
2004年06月30日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2004年06月30日 |
阿部 仁史 |
都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.69) |
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建築とは本来、器としての建物に人が入り、その場の空間に、住まい手の身体が“行為”を通して結びついたとき初めて生まれるものである。しかしながら建築家という職能の成立において、住まい手の身体による空間への直接的な働きかけとして立ち現れる“行為”は、第三者によって操作可能な“プログラム”という概念で置き換えられた。近代に成立した他のサービス業と同様に、住まい手それぞれに固有な身体をアノニマスな仮の身体に替えることで、他者によって代行可能なものにしてしまう必要があったのである。それ以来、住まい手と作り手は分離し、空間と身体の乖離は、建築家という職能の背負った業のようなものになった。
リノベーションはデザインのスタイルではなく、生活になじんだもの、生活そのものだと思ってしまうのは、10数年間の設計活動に合わせて自分の事務所をリノベーションしつづけてきたことにも関係があるのだろう。1993年に事務所を立ち上げた当初は、仙台の中心部から少し離れたところにある木造一軒屋を使っていた。当初は一棟だけだったが、アトリエの活動が活発になるにしたがって日々配置換え、増築、改築を重ね、ついには二棟連結したかたちになった。気軽に手を加えることのできる木造建築ということもあって、そこでは物を動かしたり、窓を開けたりといった日常的な行為と、壁を立てたり、穴を空けたりするという建設の行為が、より良い環境を目指して日々、同じレベル、同じ速度で存在していた。生物のように行為と物理的な空間がシンクロしながら動いていくような、建築と人間のプリミティブな関係が生まれていたのである。
そんな牧歌的なアトリエから、仙台の中心部より東に4キロ離れた卸町という流通業務地区にある大きな倉庫に引っ越したのは一年前のことである。基本的に流通業以外の業種が事務所を持つことが禁止されているこの地区は、単一機能に特化した極めて規則的な街並みを持ち、仙台市の中心部にありながら、70年代以降の様々な開発には晒されずに残った魅力的なある種の白紙状態にある街である。