隈 研吾
2004年06月30日作成年月日 |
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2004年06月30日 |
隈 研吾 |
都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.69) |
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ヨオロッパの世紀末
吉田健一 著 新潮社 一九七〇年
高校二年の時にこの本に出会った。
その前から建築には興味があった。丹下健三、黒川紀章らのスター建築家が東京オリンピック(一九六四年)、大阪万博(一九七〇年)で次々に建築をたてていく様子にあこがれていたのである。
そんな時に、この渋い本に出会った。一言でいえば「明るい近代」ではなく、「渋い近代」というもののあり方を教えてもらったのである。「近代」というのが建築をバンバンたてるスクラップ&ビルドの時代ではなく、そこに昔からあるストックを、じっくり暖め、味わう「大人の時代」であるということを教わったのである。著者の吉田健一は、イギリスに代表される『ヨオロッパの世紀末』を例にひきながら、その「大人の時代」「成熟の時代」の魅力を示してくれたのである。
いまふり返ってみればこの本は、まさに僕にとっての転機の書だっただけではなく、日本にとって転機の書だったような気がする。時は一九七〇年。スクラップ&ビルドの高度成長が頭をうち、ストックとサスティナブルの成熟社会がやってきたのである。
とはいっても、この「大人の時代」にどんな建築デザインが求められているのかは、高校生の僕には皆目見当がつかなかった。その答は、やっと最近になって見えてきたような気がする。