樺山 紘一
2004年03月26日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2004年03月26日 |
樺山 紘一 |
エネルギー・環境 |
エネルギー・ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.68) |
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停電世代の昔話
「停電世代」ということばがある。戦後の一時期、たしかにふつうの家庭では、ひんぱんに停電があった。居間にひとつしかない裸電球なのに、予告もなく急に光が減退し、ぷつりと切れてしまう。電力が不足しているぞという、はっきりとした印であった。その心細さといったら。この記憶を共有するものを「停電世代」という。
だが、その世代は、また豊かな経験を共有する。というのも、停電がおこってのち、すぐにべつの光景が実現するから。どうという動揺もなく、家庭をつかさどる母親は、悠然とロウソクをとりだす。さして慌てるわけでなく、ちゃぶ台のうえには、もうロウソクがすえられ、ほのかな灯りがともっている。いつものことだ。こどもたちは、なにごともなかったように、食後のお茶をすすりつづける。停電世代にとって、それはなんとも形容しようもなく懐かしい風景である。
一本のロウソク。たいそう心もとない光だった。うっかり風をおくると、吹きけしてしまいかねないような灯火。両親の顔が、ほのかに映しだされる。うしろのふすまには、何倍もの影が投影され、それがふしぎな明暗を演出する。どこにも、戦後の貧しさといった惨めな印象をのこしはしなかった。 たぶん、あまり良質のロウソクではなかったのだろう。煤がまきあがり、ときには蝋の悪臭が鼻をさすこともある。それでも、家庭の団欒がさまたげられず、こどもたちはそろそろ就寝の時間となってゆく。