加茂 みどり
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2009年03月20日 |
加茂 みどり
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都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
CELレポート (Vol.36) |
1.はじめに
京都都心部では、新旧住民のコミュニティの問題の他、町家とマンションが混在することによる景観の問題、祇園祭の鉾町における祭の担い手をどうするかといった伝統の継承の問題など、京都特有の課題がある。しかし、歴史ある祇園祭を継続してきた地域と町衆の力は、他の地域にはない展望の可能性も秘めている。本稿では、京都が引き継いできた伝統的なまちなかの暮らしとその変化、表出してきた現代的課題を踏まえ、祇園祭を通じた今の町衆の先進的な試みと暮らしを紹介し、今後の京都の都心的まちなか居住を展望したい。
2.京の「地」としての『まちなか居住』
京都の都心で営まれる暮らしの歴史的背景については、多くの文献や研究がある。ここではそれらの文献を参照し、京都の「地」としての『まちなか居住』を紹介したい。
・ 京都の町(町中)
京都の町は中世の頃より両側町であったとされている。通りの中心線に町の境界線があるのではなく、通りの両側で一つの町を形成している。町は町中(ちょうじゅう)とも呼ばれ、通りは町の共用空間であった。近世、それぞれの町には木戸門や番小屋、塵溜、地蔵堂などの他、会所があった。会所は「町中持ち」と表現される町の共有の町家であり、ここでは町の寄合、会合などが行われた。山鉾町の会所では、祇園祭も執り行われ、今も町席などと呼ばれ残っている。
・まちなか居住の担い手
町の運営は町に住む町衆によって担われていた。町には町式目という条文があり、日々のくらしのルールのみならず、有事の際の役割の取り決め、紛争時の解決方法、また町並みに関する規制まで含まれる場合もあった。町は現代であれば行政が担うべき機能、不動産所有売買権、居住転出入認許可権、印鑑証明発行権等を有する、みごとな自治組織として成立していた。まちなか、特に祇園祭の山鉾を持つ町は、京都では大店が軒を連ねる商いの町である。そのような町では、商店の旦那衆が大きな役割を果たしていた。もとより、町の運営は家持層のみで行われ、結果として町年寄と呼ばれる町の代表も、旦那衆の互選であったと考えられる。しかし、一つの大店があれば、その家族のみならず従業員も、住み込みや近くの町家に借家人として町内に暮らしており、町は「住む場」であり「働く場」でもあり、現代風に言えば「職住一体」の暮らしであった。