豊田 尚吾
作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
2004年11月01日 |
豊田 尚吾
|
住まい・生活 |
消費生活 |
新聞・雑誌・書籍 |
(財)統計情報研究開発センター「ESTRELA」2004年11月(No.128)所収 |
金16個、銀9個、銅12個。1896年の第1回開催国アテネに再び戻って催された今年のオリンピックにおいて、日本のメダル獲得数は過去最高となった。今回のオリンピックが大いに盛り上がった主要な理由のひとつは、メダル獲得数という意味での成績が良かったことだろう。昨年はスマップの「世界に一つだけの花」が大ヒットし、「ナンバー・ワンよりオンリー・ワン」と嘯いていたが、少なくともスポーツの世界ではそれは通用しないらしい。大多数のミーハー(勿論筆者も含む)にとっては、オンリー・ワンのパフォーマンスを愛でるだけの器量はなく、ひたすら金か?銀か?銅か?それ以外か?に終始した。別に揶揄するつもりは毛頭ない。やはり、人間はナンバー・ワンが好きなのである。よく見ればかの唄も、実際には「ナンバー・ワンよりオンリー・ワン」と言っているわけではない(筆者の勘違いのようだ)。“ナンバー・ワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリー・ワン”なのであって、ナンバー・ワンを否定したり、オンリー・ワンとの比較で軽んじたりしているわけではない。筆者が勘違いしたのは、以下の歌詞“それなのに僕ら人間は、どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのにその中で、一番になりたがる?”によるところが大きい。しかし、よく読めば、それぞれ違う中で順番を付けても仕方がないということであって、同じものの中で順番を付けることには意味がある、あるいはあってもよいと理解すべきであろう。オリンピック競技はその代表的なもので、種目、その中でも場合によっては体重別などという形で、“同じ”条件を整えている。だからこそ、1番であることに意味があると考えられるわけだ。くだらない、しかも旬を過ぎた話について長々と書いてしまった。何が言いたいのかと言えば、順番を付けることが実生活で望まれる場合が多い。結果として、我々はついつい順番を付けようとする傾向を持ってしまうということである。つまり、オンリー・ワンでは飽き足らず、ナンバー・ワンを求めてしまいがちなのだ。