栗本 智代
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研究領域 |
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2003年06月30日 |
栗本 智代
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都市・コミュニティ |
地域活性化 |
情報誌CEL (Vol.65号) |
『大阪再発見』の試みを続けていると、その発表や研究の機会などを通して、大阪の歴史的な建築物の内部を案内していただくことも増えてきた。例えば中之島公会堂。改修前、初めて3階の特別室に入った時、天井画やステンドグラスなど、その荘厳な雰囲気に息をのんだが、昨年秋のリニューアルオープンで話題を集めている。その他、例えば綿業会館も、地味で上品な外観と内部の豪華さのギャップに驚かされた。特に談話室や貴賓室など、頻繁には公開されていない部屋ほど装飾豊かである。7年程前か、上司の代理で、ある財界主宰の研究会に参加するため、初めて入った大阪倶楽部も然り。そのうち、大阪の近代を象徴する「モダニズム」と表現される大小の建築物が、大阪のあちこちに残っており、一つの大阪の都市文化を形づくっていたことを知った。近代や建築を専門とする学識者の方々により、その歴史や変遷などが既に語られているが、一般には意外と知られていないことも多い。
平成8年、文化庁が登録有形文化財制度を設け、国民の財産としての建築物を見直す動きが出ている一方で、貴重な建築物が取り壊されることも少なくない。そんな中、最近、近代建築物の魅力を倍増する、新たな「場」を創造するような取り組みが生まれている。本稿では、そのような近代建築物が生まれた時代背景としての大阪を紹介した上で、その近代建築物リモデリング(再生)の取り組み事例と、その「場」の可能性を記してみたい。