栗本 智代
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2002年03月07日 |
栗本 智代
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都市・コミュニティ |
地域活性化 |
新聞・雑誌・書籍 |
「初代大阪駅で使われた時鐘と二代目の駅舎にあった噴水小僧は、今も駅構内にあるんです。」「へえ、知らんかったわ!」大阪梅田の駅を主題にした視察ツアーの講師としてJR大阪駅を案内した際、参加者は意外な再発見に感激し、改めて駅の歩みに興味を深めたようだった。
大阪駅は明治七年、泥田と墓場が広がる梅田に誕生した。初代駅舎は西洋風赤煉瓦造り、明治三十四年にできた二代目は豪壮なゴシック風の石造りで、見物人も含めて大勢が押し掛け、駅前は栄え始める。昭和十五年からの三代目を経て、昭和五十八年、駅本舎を北側へ移動させ、跡地に「アクテイ大阪」がデビューした。
今日、駅構内には飲食店やブティックも増えて街との境界がなくなり、周辺の都市開発の渦の中に呑み込まれている感じがする。新たにできたヨドバシカメラの影響で、北側から急に多くの視線を浴びることになった駅舎は、すっぴんのままスポットライトを当てられた女優のような面持ちで、少しは華が欲しいと思う。
駅は都市のシンボル的意味合いも持つ。特に大阪駅には、梅田の大変身の起爆剤となった功績を基盤とした、独自の風格や情報発信が望まれる。駅長室にある歴代駅舎を描いた絵画のレプリカを駅構内に展示するとか、NPO やボランティアによるユニークな地域ガイドがあってもいい。そして近い将来あっと驚くような遊び心で化粧直しをして、大阪の顔として愛すべき集客施設であり続けてほしい。