栗本 智代
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2001年07月15日 |
栗本 智代
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都市・コミュニティ |
地域活性化 |
新聞・雑誌・書籍 |
(社)大阪建築士事務所協会「まちなみ」9月号への寄稿 |
今春の「ユニバーサルスタジオジャパン」開幕に際して、大阪の交通がさらに補強された。JR桜島線が「ゆめ咲線」とネーミングされると同時に「ユニバーサルシテイ駅」が開設され、環状線からの直通列車もあわせて大勢の客を運んでいる。
歴史を紐解くと、梅田―桜島間路線の開発や改良は、西成鉄道の時代から、大阪が大きな方向転換と進化を遂げようとする時、その契機となり経済成長を支えてきた。今日また、都市の夢を担って元気を取り戻している。まずは、この路線を含む大阪環状線(現JR)前史から話を進めたい。
1. 大阪環状線のルーツ
大阪環状線は、昭和36年4月25日、(JR 西日本として民営化する前の日本国有鉄道時代)発足した。これは、もともと敷設されていた4路線をつなげ、環状にするために不足ルートを新設したものである。その4路線とは,?天王寺―大阪間(私設大阪鉄道。のちに私設関西鉄道に事業を譲渡合併する)?大阪―西九条間(私設西成鉄道が国有化された国鉄西成線 大阪―桜島間の一部)、この天王寺―京橋―大阪―西九条 という路線を基軸として?天王寺―今宮間(国鉄関西本線の一部)?今宮―堺川信号所間(国鉄関西本線貨物路線の一部)。そして、境川信号所と西九条間に約2.6km新路線を建設しただけで、環状線が完成したのである。