安達 純
2000年12月30日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2000年12月30日 |
安達 純 |
エネルギー・環境 |
環境対応 |
情報誌CEL (Vol.55) |
「地球環境問題」のはじまり
「地球環境問題」が地球規模で議論されるようになったのは、今から約三〇年前に遡る。国際初の環境会議である「国連人間環境会議」が一九七二年にストックホルムで開催され、「環境と開発」を巡って主に南北間で白熱した議論が展開された。そして、ローマ・クラブによる「成長の限界」が発表されたのも同じ年のことである。
それから約一〇年後の一九八三年に、ノルウェーのブルントラント首相を議長とする「環境と開発に関する世界委員会」が発足し、数年にわたる検討を経て「持続可能な開発」という新たな概念が提起された。さらにブルントラント委員会が発足した約一〇年後の一九九二年に、「地球サミット」がリオデジャネイロで開かれ、この会議以降は地球温暖化防止が地球環境問題の中心的な検討課題となった。そして、一九九七年のCOP3の合意はそのひとつの到達点であった。
このように地球環境問題への取り組みは約三〇年前から始まり、ほぼ一〇年を一区切りとして世界的な盛り上がりを見せてきた。その中で、ストックホルム会議開催後、つまり一九七三年からブルントラント委員会が発足する一九八三年までの約一〇年間は、国際的な場では表立った動きはなく、その意味でこの期間は地球環境問題における谷間の時代と呼ばれることがある。
ところがこの一〇年間はまさに、二度にわたって石油ショックが世界を揺り動かした時代であった。各国は石油資源の確保に奔走すると同時に、石油代替エネルギーの導入と省エネルギーに最大限の力を注いだ。
わが国の場合も同様である。第一次石油ショック前のわが国の最終エネルギー消費は、毎年一〇%を超える高い伸び率で増加していた。それが一九七三年を境としてエネルギー消費の伸びはストップし、それから一〇年以上もの間、ほぼ一九七三年の水準で推移したのである。それに加えてこの間、石油代替エネルギーの導入も進んだために、CO2の排出量はさらに抑制された。石油の安定確保の不透明性と価格の暴騰というのっぴきならない事態が、主に産業部門を中心に省エネルギーの推進と代替エネルギーの導入を促し、その結果として、地球環境問題への取り組みが” 実践“されたのである。この時代、わが国はそうした取り組みにおいて世界のトップランナーであった。