安達 純
1998年11月30日作成年月日 |
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1998年11月30日 |
安達 純 |
都市・コミュニティ |
その他 |
情報誌CEL (Vol.47) |
私たちが未来への道を歩もうとするとき、方法は3 つある。ひとつは、過去ときっぱり訣別し、これまでとは全く異なる方角に向かって思い切り跳ぶことである。もうひとつは、その反対に、過去の方に顔を向けたまま、後ずさりに恐る恐る足を運んでいくことである。第3 の道は、そのいずれとも違っている。過去と現在をしっかり踏まえた上で、それを乗り越えることによってはじめて未来は切り拓かれる、と考えることである。季刊誌C E L 4 7 号ならびに次号で試みようとしたのは、私たちがどこまで歩みを進め、今どのような地点に立っているのかを確認することである。21 世紀に通じる新しい道を探るために、今ここで「明」と「暗」の両方の視点から、公平に、これまでの到達点を評価しておくことが不可欠と考えたからである。しかし、本当の課題はその先にある。このあと私たちが、未来に向けて一歩を踏み出すためには何が必要なのか。「物の豊かさ」から「心の豊かさ」へと軸足を移すことだ、とはよく言われることである。確かにそうであるかもしれない。けれども、どうしたら「心豊かな社会」を実現できるか、という方法論についての議論はまだ不十分である。そればかりか、そもそも社会の成り立ちそのものに不安が生じている。すなわち、目下の景気の問題であり、もう少しスパンを長く取れば、「持続可能な成長」の問題である。
C E L は今から7 年前の創立5 周年に、「ジオカタストロフィー」( 人類破滅の可能性とその回避のシナリオ)研究に取り組み、その成果を世に問うた。2 1 世紀を目前にして、「心豊かな社会」への方途を探るとともに、その基盤となるべき「持続可能な成長」の課題についても、C E L として、本腰を入れて取り組むべき時期を迎えているのではないかと思う。