濱 惠介
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2007年07月31日 |
濱 惠介
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エネルギー・環境 |
省エネルギー |
WEB |
日経BP・ECO JAPAN連載コラム(4) |
給湯今昔
少し昔話をします。私が小学生だった1950年代、新築されたわが家では浴室・台所・洗面所の蛇口からお湯が出ていました。今では当たり前ですが、その頃の住宅ではとても珍しいことでした。もっとも、これは特殊な事情があってのこと。小さな製鉄所を預かっていた父は、溶鉱炉の羽口(はぐち、熱風吹き込み口)の冷却水が熱い湯になって出るのを、工員用の共同浴場だけでなく、自宅である工場長社宅と工場敷地内の社宅にまで引かせたのです。工場廃熱の有効利用とは言いながら、途中多くの熱が失われ、溶鉱炉の修理期間は湯が出ないのが弱点でした。
冬の朝、小学校の教室で担任の先生が「今朝お湯で顔を洗った人は?」と皆に問い掛けることがありました。恐る恐る手を上げると、「ハマ君は仕方がない」と勘弁してもらった記憶があります。湯で顔を洗うのが軟弱で贅沢なことと見られる時代でした。それにしても先生は児童の家の状況を把握していたようです。
さて、今日の給湯事情は様変わりです。いつでも好きなだけお湯が使えます。それが普通になり豊かさの表れではありますが、エネルギー消費が増えました。必要な量のお湯を使うにしても、もう少しエネルギー消費を減らせないものでしょうか。