下村 純一
2009年09月28日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2009年09月28日 |
下村 純一 |
都市・コミュニティ |
地域活性化 |
情報誌CEL (Vol.90) |
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日本の近代医学の父といわれるベルツは、来日した明治9年から数十年に及ぶ日記を残している。その日記には、明治10年秋に、中国から潜入したコレラが横浜、続いて東京に出現したと書かれている。まだ、その頃コレラを予防する手段はない。発生前の衛生管理と発生後の蔓延予防にベルツらは腐心したようだ。開国は、日本にはなかった負の事物ににも門戸を開いてしまったわけである。
コレラ発生に対しては、その恐ろしさを熟知していた居留地の外国人たちが、いち早く反応し、衛生面から、まず長崎で上水道施設の整備を声高に要求した。いわば外圧に屈した形ではあったが、明治20年前後に開港地を手始めにした上水道というインフラが、日本にも整えられていくことになる。