情報誌CEL
災害情報の主体的活用と地域防災力の向上
作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
2010年01月08日
|
片田 敏孝 |
都市・コミュニティ
|
まちづくり
地域ガバナンス
|
情報誌CEL
(Vol.91) |
|
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
現在、日本の防災は大きな変革期に来ていると言える。従来の行政主体の防災から、今後は、行政と住民が自助、共助、公助の枠組で相互に補完し合うことで地域の防災力を高めていくことが求められている。その際、人間の心理に沿うかたちで、災害情報をいかに有効に活用していくのかも大きな課題になってくるだろう。
―変革期に来ている日本の防災―
今から50年前、1959年の伊勢湾台風は紀伊半島・東海地方に甚大な被害をもたらし、犠牲者は5千人以上にのぼった。その頃の日本では、まだ防災インフラが十分には整っておらず、災害情報をまともに発することもできなかった。自然災害によって毎年数千人の方が亡くなっていたのである。
その2年後の1961年、それまでの教訓を踏まえて災害対策基本法が制定され、これにより日本の防災は大きく方向転換することになった。この法律では、国は、「国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護する使命を有することにかんがみ…」とされ、「防災に関し万全の措置を講ずる責務を有する」となっている。日本の防災はこれに基づき、長きにわたって行政主体で行われてきた。そのおかげで、日本の防災はハード・ソフト両面で大きく進展し、自然災害での犠牲者は急減した。阪神・淡路大震災を除けば、近年の犠牲者数は年間100人前後の水準となり、非常に大きな成果を上げてきたと言える。
ところが、こうして日本が
50
年間にわたって
進めてきた防災にも、近年限界が見え始めてい
る。例えば2008年7月の神戸の都賀川の水
害。突然の局地的豪雨によって親水公園が冠水
し、危険を知らせるいとまもなく、5人が水にのまれて亡くなった。さらに、避難勧告のあり
方に疑問の声があがったのが、2008年8月末の愛知県岡崎市の水害。夜中の2時台に市内で1時間に146·5ミリという豪雨が降った。これに対し、市は2時10分に避難勧告を全市民37 ·6万人に出した。このタイミングは遅くはない。しかしこの時、猛烈に雨が降ると同時に雷が鳴り続けており、道路は濁流のようで、随所に深い浸水箇所を生じていた。そこを避難するのは、むしろ大変危険な状態。市民の中には、低平地の木造住宅の住民もいれば、丘陵地や高層階の住民もいる。留まることが危険な人もいれば、そうでない人もいる。つまり、実際は必ずしも全市民が避難すべき状況ではなかった。そういうところへの避難勧告であり、ほとんどの人が従わなかった。しかしその一方で、もしもあの時、避難勧告が出されなかったならば、市民もマスコミもこぞって行政の怠慢を責めたのではないか。その判断は非常に難しい。
都賀川の災害は情報が出せないという問題。岡崎市では、避難勧告1本で発令地域の全住民の安全を確保することはできないという問題。こうした状況が明確に見えてきている。