情報誌CEL
地域の一員として減災に取り組む企業の役割
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備考 |
2010年01月08日
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三ツ星ベルト株式会社 |
都市・コミュニティ
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まちづくり
コミュニティ・デザイン
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情報誌CEL
(Vol.91) |
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住工一体の下町・神戸市長田区真野地区。1919年、この地に創業した三ツ星ベルト株式会社は、「企業も地域の住民」という意識のもと、1980年に設立された住民主体・行政支援の“真野地区まちづくり推進会”に発足当初から参画。地元企業の代表として住民と協働でまちづくりを行ってきた。阪神・淡路大震災による火災からまちを守った経緯も、長年にわたる地域との交流が功を奏した結果で、今も地元の誇りとして語り継がれている。
甚大な火災被害に見舞われた神戸市長田区。震災当日朝、消防署の電話はつながらず、水道管は破裂して水が出ない。そんな状況の中、社員で構成される自衛消防隊60人が、いち早く、当時社内に備えてあった消火ポンプ車3台を出動させた。水は同社が整備していた貯水槽と井戸から汲み上げ、地域の住民たちもと協力して消火活動にあたった。長田区の消防車が到着したのは地震発生から約6時間後。その間、延焼を最小限にくい止めると同時に、工場付属の体育館を被災者約400人の避難所として開放した。
同社は工業用ゴムベルトの製造メーカーで防火対策は日頃から周到であったが、住民と共同した消火活動や体育館の開放はマニュアル化されていたわけではない。この時、社員の臨機応変な対応と住民の行動力が、惨事から地域を救ったのである。
同社は、震災の3年前、真野地区に工場と研究所を残し、神戸市中央区の新興商業地区・ハーバーランドに本社を移転していた。しかし震災以降、真野地区の人口は減少し、まちの地盤沈下が進んだことから、「本社を地元に戻し、復興に力を貸して欲しい」という地域住民の要請をまちづくり推進会から受ける。移転費用は膨大で問題も多かったが、まちへの貢献はそこで育てられた企業の使命であると考え、2000年11月、本社を再び創業地へ戻した。
里帰りを機に地域の結束をより強めるため、社内任意団体“三ツ星ベルトふれあい協議会”を創設し、社員ボランティアが運営する住民参加の様々なイベントを開催。また、社員全員による月2回の防災訓練をはじめ、震災の起こった1月17 日前後に“三ツ星ベルト防災の日”を設定し、住民はもちろん消防署や警察署とも連携した大規模な防災訓練を毎年行っている。
「非常時に地域を統制できる人材を育成することも地域とともに歩む企業の役目。防災訓練やイベントの開催は地域との交流だけではなく社員教育の一環でもある」と話すのは総務部長兼三ツ星ベルトふれあい協議会会長の保井剛太郎氏。人を育て、まちと深く関わり震災復興を支援した企業は今後も地域の中で住民と共に発展していくことだろう。