情報誌CEL
住民とボランティアの協働によるまちづくり主体の復興・減災活動
作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
2010年01月08日
|
まち・コミュニケーション |
都市・コミュニティ
|
まちづくり
コミュニティ・デザイン
|
情報誌CEL
(Vol.91) |
|
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
阪神・淡路大震災でまちの8割を焼失した神戸市長田区御蔵・菅原地区。震災から15年、同地区における神戸市の土地復興区画整理事業はすでに終了し、ケミカル工場や木造長屋が軒を連ねていた下町は、マンションや3階建住居が並ぶ新しい住宅地へと生まれ変わった。
一見、大惨事の傷は癒えたように思えるが、当時の状態で公園に保存されている焼けただれた電柱と2本のクスノキが、今なお震災の傷痕を伝え、辛苦を共にしてきた住民とボランティアの忘れ難い15年を無言のうちに物語っている。
震災直後から「まちの再生なくして本当の復興はありえない」と訴えて活動してきた東京からのボランティア2名と地元企業社長の田中保三氏が、御蔵通5・6丁目のまちづくりを支援するボランティア団体「まち・コミュニケーション」(以下「まち・コミ」)を震災の翌年に創設。慰霊法要をはじめ夏祭りや餅つきなど、イベントの開催や「共同再建住宅」の実現など、他地域へ移った住民たちを呼び戻すことを目標に活動を始める。
「共同再建住宅」では土地の権利者や設計者、工務店との折衝にあたり、ボランティア団体としては珍しいコーディネート役をつとめ、11世帯が入居する「みくら5」を完成させた。
御蔵地区にある自社を火災で失った「まち・コミ」の顧問・田中氏は、震災から多くのことの学んだという。
「ないものを勘定するより、今あるものを生かす。その原動力となるのは“人”で、隣人が非常時に最も頼りになった。窮地に追い込まれ気付いたのは、まちの中にはいざという時に力を発揮する素晴らしい人が必ず存在するということです」
地域住民とボランティアの連携を背景に、01年、「まち・コミ」は古民家を移築した集会所の建設に取り組む。約2千万円の資金不足を、住民と建設ボランティアの無償の汗と職人の協力、そして呼びかけた募金の成果により乗り越える。
兵庫県香美町での家屋解体から御蔵地区への移築完成まで約2年半、延べ2千人のボランティアが参加し、共同作業を通して地域や人とのつながりを深めた。さらに、この古民家移築が、99年の台湾中部大地震以降交流している台湾へ日本の古民家を移築する事業につながった。
「他の被災地との交流や支援も積極的に行っているが、復興のためだけではなく、まちづくりを主体とした活動が基本」と話すのは、「まち・コミ」の代表・宮定章氏。大震災からの復興活動で培ったコミュニティの力とリーダーシップが、今後も豊かなまちづくりのいしずえになることを期待したい。